テンプレート利用規約

  1. [1] 先日、三島村(硫黄島)に行きました。港に向かって建っている銅像です。

    平俊寛、成経、康頼が(硫黄島)へ配流されました翌年、治承2年(1178年)、清盛の娘で高倉天皇に入内していた中宮徳子(とくこ)が懐妊します。安産祈願のための大赦により、丹波少将成経、平判官康頼の二人は赦免(しゃめん)され召還されることになりましたが、俊寛は一人許されませんでした。二人を乗せた船がいよいよ出ようとする際、俊寛は、海水の中に胸まで入り船にとりつき、同行してくれるよう必死の頼みをしますが赦免状をもった使者・丹左衛門慰基康は、俊寛の手を払いのけて一息に船を沖にこぎ出させます。号泣きし、子供のように足摺して頼んだ甲斐もなく、俊寛は只一人残され、茫然として海を眺め、海に佇むばかりだったといわれます。
    俊寛銅像(IN硫黄島)
    sihimotake 2010/06/02 13:48 *
    1. [4] Superb images, the shade and depth of the pictures are breath-taking, they attract you in as though you belong of the composition.

      my website - http://onlinesmpt200.com
      I enjoy
      ReubenDep 2014/05/07 06:14

 

俊寛銅像(IN硫黄島)

JPG 555x648 32.0kb

先日、三島村(硫黄島)に行きました。港に向かって建っている銅像です。

平俊寛、成経、康頼が(硫黄島)へ配流されました翌年、治承2年(1178年)、清盛の娘で高倉天皇に入内していた中宮徳子(とくこ)が懐妊します。安産祈願のための大赦により、丹波少将成経、平判官康頼の二人は赦免(しゃめん)され召還されることになりましたが、俊寛は一人許されませんでした。二人を乗せた船がいよいよ出ようとする際、俊寛は、海水の中に胸まで入り船にとりつき、同行してくれるよう必死の頼みをしますが赦免状をもった使者・丹左衛門慰基康は、俊寛の手を払いのけて一息に船を沖にこぎ出させます。号泣きし、子供のように足摺して頼んだ甲斐もなく、俊寛は只一人残され、茫然として海を眺め、海に佇むばかりだったといわれます。

[記事1]

 


I enjoy

Superb images, the shade and depth of the pictures are breath-taking, they attract you in as though you belong of the composition.

my website - http://onlinesmpt200.com

[記事4]